非二元(悟り)
非二元という言葉は、なにかと誤解を生みやすい言葉かもしれません。二元ではない一元という意味だと思う人、善と悪というような二極ではないと思う人など様々に解釈されます。しかし、非二元とはもともとサンスクリット語のアドヴァイタ(Advaita)の日本語訳で、アドヴァイタとは、シンプルに”二つではない”という意味です。
では、何と何の二つではないのでしょうか? それは般若心経に「空即是色、色即是空」と謳われているように「空と色」の二つではない、空(空っぽ)と現象(満ちている)の二つに別れているのではないという意味です。
また、観察者と観察される物(主体と客体)の二つがあるのではなく、あなたという個人(主体)がこの文章(客体)を読んでいるというのは錯覚であり、そもそも文章を読んでいるあなたというのは存在せず、読むという行為とそれに気づいている意識があるのみ。そして、その二つは分けられないという意味です。
ややこしい文章になってしまいました。しかし、実際のところは非常にシンプルで、”思考を一切介せず”「今ここ」にただただあり続ければ、まず自分というものが存在しないことがみえてくるはずです。(私はいない)
そして、個の自分がいないと見えてきたとき、見ている私、聞いている私はいなくなり、すべては分けることができない膨大な現象のみと見えてくるでしょう。
そして、その膨大な現象に”気づいている”存在にあり続けたとき、現象はすべて現れては消えていく幻想であり、気づきの意識のみが実体であることが現れだしてきます。そしてそれが本質の自分であることに気づかされる。
文章にするとややこしくても、「今ここ」にあり続けるというシンプルなことで本質は自ずと現れてきます。
分離した個である自分は幻想であって存在していないことに目覚めた時、大いなる生命のエネルギーが圧倒的なインパクトを持って、優しく、そして力強く迫ってくるでしょう。
目覚めたといっても個としての”私の人生”は続き、壮大な夢は終わりを知らず、現象は現れ続けます。
自分の本質(空)を知りながら、個としての人生(色)を生きていく。
それは今までとまったく違う生き方。分離から全体へ、恐れから愛へ、苦しみから究極の癒しへと歩む始まりです。
夢の中で幸せや平和を探して彷徨い続けていたけど、もうそろそろ思い出して本当の家に帰ろう、
あなたの心の中でそんなホームカミングのベルが鳴っていませんか?